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『銀河鉄道の夜』、カムパネルラの肩について

(ますむらひろしの描く宮沢賢治作品がかわいくって大好き)


10年くらい前になるけれど、私が会社勤めをしていたとき、ひとりの先輩(女子)が退職することになった。
そしてその退職のニュース(小さい会社だったのでニュースになるのだ)に嘆き悲しむ女子がひとり。先輩と同じ部署で働いていた同期であった。
「私先輩の細い肩を後ろからこっそり見るのが好きだったのに!」
と同期は言った、同期のデスクは先輩の斜め後ろに位置していたらしく、同期はPC越しに先輩の肩を盗み見していたようだ。
先輩は、顔立ちは地味なものの長く伸ばしたまっすぐな髪の毛とスレンダーな体型で、野暮ったい事務服を着ていてもすらりとして見えた。おじさんおばさんばかりが働く小さい地味な会社の中、かなりの素敵女子であった、ので、私も「先輩の肩ね…わかるわ」と同時に同期にたいして「おまえはジョバンニか」と思ったのだった。
おまえはジョバンニか。

宮沢賢治銀河鉄道の夜』を読んだことのある人にはおわかり頂けるだろうが、ジョバンニは『銀河鉄道の夜』に出てくる少年だ。
ジョバンニは病気のおっかさんの面倒を見る勤労少年である。ジョバンニには「仲良くなりたい」少年がいる。同じクラスのカムパネルラである。銀河鉄道に乗ったジョバンニは、車内に「見たことのある肩」を見つける。

すぐ前の席に、ぬれたようにまっ黒な上着を着た、せいの高い子供が、窓から頭を出して外を見ているのに気がつきました。そしてそのこどもの肩のあたりが、どうも見たことのあるような気がして、そう思うと、もうどうしても誰だかわかりたくて、たまらなくなりました。


その肩の持ち主は果たしてカムパネルラであるのだけど、「肩のあたりがどうも見たことのあるような気がして」という部分に込められた諸々に私はいつもめまいがするのだった。
肩のあたり、という部分、そこが「ひそかにずっと見つめ続けた結果」として考えられる。
(肩なんて後ろからずっと見つめ続けないとわからないよ!)
よって「肩のあたり」という言葉にはジョバンニの、カムパネルラに対する「慕情」「あこがれ」「思慕」、そのようなものが込められまくっている。もうそれ以上語る言葉はいらない。
ジョバンニよ、きみはそれほどまでにカムパネルラを、と切なくなるのだった。

…というくだりがあって、私は同期が見つめていた先輩の肩のエピソードがなかなか忘れられないでいる。