5年放置していたか…まあいいや、誰も読んでないだろう。怪文書を記録しておくのにちょうどいい場所を見つけた。ひっそり再開。
今私は「プロジェクトヘイルメアリー」という物語のきらめきに焼き尽くされていて消し炭状態である。
原作と映画を反復横跳びすること数ヶ月、結局映画は14回通ったがまだ足りない、餓鬼状態でもある。(アマプラ会員ではいので、配信あるよは無効)(プロジェクトヘイルメアリーにはまることとアマプラに入らないことは両立する)
3月に原作読了してからすぐ映画に赴き、映画がこれがもうとんでもなく「刺さって」しまい、仕事と映画とどっちが大事なの、映画やろがい!!!!!今しかやっとらん、映画やろがい!!!!状態のアホになり映画のために有給を使い倒してもう体調崩せません。でも大丈夫!!今元気いっぱいですし、人間ドックの結果もとても良かったので。映画を観ていない時間はひたすら原作を読んでいました。4月からこっち、ずっとです。
(プロジェクトヘイルメアリー。「とんでもなくオモロいSF小説」だということは知っていた。うわさで。名前もなんか素敵だし、なによりここ2年くらい、海外SFが面白くて何冊か読んでいた私にとっては(惑星を継ぐ者シリーズが好きだった。揃えたけどまだ途中、「内なる宇宙」むずい)読まなければならない小説だったけど、映画公開直前にやっと買って読むという体たらく。だけど映画のおかげで読めました。ありがとう。)
もうあらすじ云々はいらんだろ。もしここに誰かがたどり着いたとしたらもうその人は「プロジェクトヘイルメアリーの感想を読み尽くした向こう側」にきてる人だから。奥地だから。ここ。なにしろ私は「プロジェクトヘイルメアリー仏教」やってっから。ひとりで。なんなんだよ、それは。ということで、誰もここには来れないだろう。秘境オブ秘境の自負ある。閲覧者は私だけの自負ある。だから自由!ワールドワイドウェブのすみっコぐらし!!!!!ここが!おちつくんです!!
さて、私はプロジェクトヘイルメアリーのぜんぶ、に感動しておるわけですが、やはりグレースとロッキーの関係、特に主人公グレースにおけるロッキーの存在、はもう、なんかこの三千大千世界じゅうの言葉を集めまくっても言い表せることのできない特大矢印が向かっていることに魂が震えている。映画も原作も。これはみんなそうでしょう?そうだと言って。
宇宙にたったひとりで放り出された主人公グレース(ええ年。独身男性)に、思いもよらない形で結び付くことができた友だちがいるということ。その友だちがすばらしい魂を持っているということ。その友だちが自分を認めてくれているということ。自分の危険を顧ず、命を助けてくれたこと。そして、その友だちのために、自分の死が確約されても裏切れない魂が自分の中にあるということ。
自分のいのちをあきらめて、友だちと、友だちの何十億人の仲間を助けに行く、それが、とても爽快で幸せなシーンに見えた。そして、そのまま、幸せな気持ちのまま、物語が終わっていく…
視覚的、聴覚的に完璧なかたちで訴えかけてくるのはやはり映画なので、私は映画を見るたびに窒息するくらい号泣していた。(始終笑顔の回もあったが)なんて、なんてものを見せてくれたんだ。グレースの「自分で決めた人生のゆくえ」「それを受け止めるロッキーとその仲間たち」の美しすぎる画面に、いつも拍手喝采だった。(また…音楽がいいんだ…サントラ予約済み)
私はこの物語に感動できる私で良かった、生きてて良かったと本気で思ったし、これからも「善く」生きようと思った。善良な人類であろうと思った。私の人生がどうあろうと、私が私であるかぎり、この世は素晴らしいのかもしれない。という強烈な多幸感みたいなのに襲われて、指の先まで血が巡っているのを感じていた。映画を見るたび、毎回だ。世界に感謝していた。
仏教に似ている(こじつけのはじまり)
この感じ。昔、仏教を学んでいたときにも感じていた。私は仏教が好きだ。どこがどう、と言われるとウッとなるが、「一切皆苦」「諸行無常」「諸法無我」等は「やっぱりそうか!!」と思ったし、釈尊の「自分自身と法を拠り所とせよ」にしびれた。そういった、現実の「生」に根付いた、目を背けたくなる事実を突きつけてくれて、神秘的ではないところが好きだった。(これは原始仏教の考えが強くて、今日本で信仰されている大乗仏教とは少し違いますが大乗仏教も大好きです。やさしいから。)
仏教の本を読んでいて、「私の人生がどうあろうと、私が私であるかぎり、この世は素晴らしいのかもしれない。という強烈な多幸感みたいなもの」を最近もしょっちゅう感じる。
こういった事情で、私は「プロジェクトヘイルメアリーと仏教」を考えてしまう。
年食ったな。(昭和うまれ)
プロジェクトヘイルメアリーは菩薩の物語
だってだって…グレースとロッキーって…
とっても「菩薩」じゃないですか!!???
「衆生を救う」という誓願たててる菩薩じゃないですか!!???
ついでにいうと、原作のグレースって、ブリップAらしき物体を見つけた瞬間の
"ひとりでフィストバンプする。「イエス! ぼくはまちがいなく死ぬ!」"
のところ、「解脱」していて、「有余依涅槃」(この世に生きながら得た悟りの境地)に入っていませんか!?だから…エリドはグレースにとっての涅槃なんじゃないですか!?(これは飛躍しすぎだと思ってるけどなんかこう考えるといい感じ、エリドは涅槃。地球という此岸からただひとり、黄泉路にむかったグレースがたどり着いた涅槃。)
ということをワー!と考えている。
ついでにこの物語が素晴らしいのは、「利他」の力が働きまくっているのではないかということ、あとは捨身について
ストラットは法華経的にグレースを導いていたのではないかということ
などなども。
それはこれからかきます。
とはいえ煩悩もフルで働いている
まあ、こんなことをやっているが、基本的には、映画は「ロッキーがバチクソにかわいい」「見るたびにかわいくなっていく」「かわいさの権化」「君にかわいいと叫びたい」「かわいいだけやない、優しい、賢い、強い」と思いながら見てたし、「グレースも可哀想でかわいい」「髪色と目の色素敵」「こんなに腕バキバキやのに儚げなん何?どういうこと?」「かわいいだけやない、この瞬間バリバリ男前」と思いながら見てた、煩悩フィルター何枚もかましてた。
こんなもんですよ
つづく。