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脳天壊了以外も超おもしろいよ 吉田知子 『脳天壊了』

脳天壊了―吉田知子選集〈1〉

脳天壊了―吉田知子選集〈1〉

この本の記事、3個めだよ。どんだけ好きなんだよ。
まあいい。
好き!

今回は、表題作以外のおはなしを。
どれもこれも、不穏な夢をみている気分に。
「乞食谷」「寓話」「常寒山」がおきにいり。


「乞食谷」
というのがいちばん好きだった。
蟹、という名前がコンプレックスの女。
蟹のいやな部分を延々と語ったあとに、じつは私、蟹トク子という名前なんです、という自己紹介。それはそれは陰気な自己紹介。
シリンダーを作る工場の事務員をしている蟹さんの生活はみすぼらしすぎて切なくなる。
まいにちゆかりごはんだけ食ってる。おかずなし。

蟹さんが、「死んでしまいたいくらい恥ずかしい」と思っている実家に帰ったときがもう惨め。
以下自己満足の引用。

部屋の柱にワンピースがさがっていた。白地に赤い小さな花の散った安物のワンピースです。中学二年の妹のものにちがいない。それを見たとたん、私は頭に血がのぼりました。中学には制服があるのです。ワンピースなんか不必要なのです。私なんか、ワンピースどころか、制服以外には、ブラウスもスカートも、ただの一枚も作ってもらったことはない。家の中ではシミーズを着ていればよい。そのシミーズだって私のは母の手作りので、晒してないゴワゴワした黄色の木綿で作ったものでした。布が乳首に当って痛くてしようがないので文句を言ったら今度は母はぶかぶかのを作ってくれて、その不恰好さと言ったら世をはかなみたくなるくらいだったのだ。私は妹のために百円均一の売場で買ってきた赤い定期入れを溝へ叩き捨てようかと思った。それでも、ようよう怒りをおさえて、どうにか普通の顔をして戸をあけたら、ちょうど夕食の時間、漬け物や皿の並んだ食卓の上に母が大鍋を運びこんできたところでした。母は私が来たのを喜んで、早速、自分の皿を私に押しやり、一番先に、御飯をよそってその上にカレーをかけてくれました。私は、それを食べなかった。唖になったように黙っていた。ものが言えなかった。やっと息を吸いこんでから、「カレーなんか食べてるね」と言い、すると涙がとまらなくなった。私は母に買ってきた百円クリームと妹の定期入れと、弟のための漫画の本を投げ出すと家をとびだしてしまった。
 母の声を後に聞きながら私は、めちゃくちゃに走りました。涙が噴きでてとまらなかった。
 私は口惜しかった。私は家を離れてからの一年間、あんなにおいしそうなものを食べたことはない。食うや食わずやというのが嘘でない生活だった。(中略)それが何ということですか。カレーなんか食べている。たしかに肉もはいっていたし、飴色の玉葱、橙の人参、ジャガイモ。いい匂いだった。
 許せぬ。断じて許せぬ。

(P.88~89より)
こんなふうに、長々と引用してみたい文章で埋め尽くされている。

蟹さんは、蜆ばかり食べる隣人の蜆の量におびえ、会社の男の人に誘われてわけのわからない(ベンチに座り続ける)デートを習慣にしているけれども行き着く先はなんにもない。
あまりにも自己評価が低いのでどうにもならない。
自己評価は低いのにプライドがすごい。
クソ面白い。
この面白さを伝える術がない。


「寓話」
カリスマ的存在の書道家とその息子の一生と作品。ふたりは凡人の感覚を超越していく…ようにみえる。
ひとつの道に通じすぎてだんだんと常人離れをしていき、結局は無、みたいになっていくさまは中島敦の「名人伝」を思い出す。
すごいスピードで物語が進んでいった感。

「常寒山」
登山に行こうと思っていたのにひどい下痢で行けなくなった。夫はそんな私を置いて登山にいってしまう。登山仲間のあの男はおかしい、なにかおかしい、同性愛者ではないのか…私はずっと具合がわるい…。

読んでいるとマジで具合が悪くなってきて、四足歩行になりそう。


これは図書館の本だけれど、わたしはこの本を自宅の本棚に並べたいと思っている。
倉橋由美子皆川博子くらいの衝撃を受けている。何回も読みたい。
だけど全然、売ってないのが残念で残念でたまらない。
「吉田知子をカジュアルに買えない世の中」なんであるこの世は!
(ネットで買えばいーじゃんという甘えは許さない私、苦労して本屋で見つけてヨッシャアアア!と手にとって、レジに持っていってお会計をしてビニールに入れてもらって家にもって帰る、そんな一連をやりたい)