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ただ読んだ本を記録していくだけのここ

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佐野洋子 がんばりません

 

がんばりません (新潮文庫)

がんばりません (新潮文庫)

 

 

佐野洋子を読むと、元気が出る。

「よっしゃ、明日も元気にがんばるぞ!えいえいおー!」的な暑苦しい元気ではなく、「ま、これでいいか…なんとかなるだろ…あんまり考えんとこ」みたいな、細々とした元気だけど、充分だ。

なんだか「元気」じゃないような気もするけど、私にとっては元気なのだ。「これでいいか」と思えることは、元気につながる。

 

「訓辞を食べた日々」「まめまめしく健気なる人類よ」「いろんな人と一緒に映画を観た」「一万回転の洗濯機」「レディーなどどこにもいないのである」「外国語は素敵な音楽である」「読書は怠惰な快楽である」「可愛がられて死ぬよりはまし」という章に分かれている。解説・おすぎ。おすぎだって!

 

私は、「伯爵夫人のたいこ」と「母親は生涯のひまつぶしである」と「ふとんは生涯の伴侶です」が大好きだ。大好きで、付箋を貼って、いつでも読めるようにしてある。

 

「伯爵夫人のたいこ」は、おセレブな奥様の書いた家庭料理の本のはなし、佐野洋子は、この本に乗っている料理、たとえば「ハンガリーラグアーシュ」という、私には見当もつかない料理を団地の狭い台所で作ったり、していのだそうだ。家庭料理の本、と銘打ってはあるものの、その本の著者の育ちの良さや、上流家庭ぶりが端々から立ちのぼってくるので、佐野洋子は「料理の本というより、幸せな上流家庭小説のようだ」と思っていた。佐野洋子は貧乏育ちなので、どうしても、お金持ちの人たちの表現は、「自慢」に見えてしまうそうだ。

だけど、佐野洋子はこの本がたぶんとても好きだったんだな、ということが伝わってくる。生活の一部になっていたんだろう。何回も読み返したんだろうな。

私も、1つの本に対してこんな感想を形にできたらいいなあと思う、そんなエッセイで大好き。

 

「母親は生涯のひまつぶしである」は、もうねえ…それ!それよ!と思った。(なんだよ)

「一たび女が母になってしまうと母以外の何物でもなくなってしまう」という文章で始まるのだけどこれは本当だと思う。

本を読んでも、その本の主人公の母の立場になってみたりして、もうなんだか正常な状態でものをみられなかったりする。

 

伝統的サトウハチロー「おかあさん」のイメージに半ばしばられ、人類の母として文句のつけようのないパブロ・カルザスの母を理解し、分裂症になりながら学歴社会に子を送り出さねばならない。

三食昼寝付きでも、あんまり割の合う商売ではないけれど、母でいるって面白いのよね。

ってしめくくってある。佐野洋子はすごいな、私がもやもや思っていることを、ばしりと文章にしてくれている。

 

「ふとんは生涯の伴侶です」も、そう、それなんだよ!と思う。

辛くて辛くて悲しい時、何に助けを求めたかって言えば、ふとんだ。

もうこんな家に居られないでていってやるとか思う。悔し涙を、みんなが寝静まった頃に、ひとりでふとんをひっかぶって、流す。完全な私ひとりの世界を、ふとんが作ってくれる。

そんなの、佐野洋子を読むまで気付かなかった。

 

ああもう、時間がない。

よみかえしてないけどもうこれでいいや。