吉行淳之介 女のかたち
実家の本棚にあったので借りてきたシリーズ。
母の趣味はイカしてる。
吉行淳之介が女のパーツや四季折々に触れて、女を語りつくす。
昔、少しだけ読んだことがあったけど
「吉行淳之介はペディキュアがグロテスクに見えて嫌いなのだな」
ということしか覚えていなかった。
私は夏になってサンダルを履くようになっても
「めんどい」という理由でペディキュアというものを一切してこなかった。
今夏、昼の番組「ヒルナンデス!」をみていたら
「ペディキュアをしないでサンダルを履いているのはパンツをはかないでスカートをはいているのと同じ」(だったとおもう)
って植松晃士が言っててさ、ちょっとショックを受けたんだけど
「吉行淳之介大先生がペディキュア嫌いって言ってたから私はしないことに決めている」
って、誰に言い訳するでもなく(しいて言えば植松氏に)
そういうことにした。
なんか立派な大義名分つうか信条つうかこだわりつうか、を得た気になってペディキュアをサボる人生。
しかし、今回じっくり読んでみたら
吉行淳之介ふざけんな、と思ってしまった。
やはり、昔の本だけあって、女性が抑圧されている気がする。
そして吉行淳之介が女性嫌悪の精神の持ち主であったことも、ひしひし伝わる。
「家事が電器化したから女房どもに暇ができてろくでもないことを考える」
だとう!?
まあこの「ろくでもないこと」っていうのは子供にあれやこれやといらんことを口出す、というニュアンスだったけど。
入学試験に母親が付き添う事を憂いていた。
しかし、表現が気に食わない。
あと、淳之介の彫刻家の友人が、お金に困った19歳の女の子の胴を石膏で固め、型をとって作ったトルソーの話。
女の子は「どんなことでもするから5万円をください」と言うので
その女の子を裸にひんむいて石膏で型をとらせてもらったのだそうだ。
そんなふうにしてできたトルソーをながめながら
「その少女は、いまどうしている…」
「もう大分前のことだ。結婚して、子供を3人産んだ」
そう言うと、彼はトルソオの腰を掌で撫で、
「ここらあたりも、きっとふてぶてしく大きくなっているだろうなあ」
と、憮然とした面もちである。
だとよ!!
「ふてぶてしく」のところがもう、ふざけんなよって思う、
これは私が経産婦だからだろうか、うん、きっとそうだと思うけど、なんともヤな気分だ。
そんなかんじで出産に対しても、苦しんでいる中でも快感があるんじゃないかとか書いてあって、
はいまた私が経産婦だから琴線に触れたよ、
そんなバカな話があるもんかい、苦しいだけだよ、
だけど、「やってやったぜ!」みたいな達成感はあるかもしれない。
しかし、それは決して、性的快感ではないのです。
吉行淳之介は、「ああ、これだから女ってヤダヤダ」って確認するために、こんなに女の観察をしてたんだな。
そうにちがいない。
なんだよう、植松氏の言うとおりに、ちゃんとペディキュアしなくちゃならなくなったじゃないか。
米倉斉加年の挿絵は素晴らしかった。
毛が、いやらしい。